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Artist

RAIL BAND

Title

SALIF KEITA & MORY KANTE - MALI STARS VOL.1


rail band 1
Japanese Title

国内未発売

Date the early1970s
Label SYLLART 38750-2(FR)
CD Release 1988?
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 サリフ・ケイタとモリ・カンテが若き日に在籍していた伝説のバンドの70年代の演奏を収めたアルバムは、単独でCDリリースされたものについては、わたしの知るかぎり2枚しかない。
 1枚は、SYLLARTの発売、フランスのMELODIE配給で88年ごろにリリースされた"RAIL BAND / SALIF KEITA & MORY KANTE"。もう1枚は、同じくSYLLARTの発売でSONODISCから99年にリリースされた"RAIL BAND / MORY KANTE & SALIF KEITA"(メタ・カンパニーXM-0252(JP)/SONODISC SD 40-CDS 7051(FR))。タイトルのサリフ・ケイタとモリ・カンテの順が逆になっているだけで、なんとも紛らわしいが、両者はまったく別内容。ここでは便宜上、前者を(1)、後者を(2)としよう。

 (1)は、海外のサイトでも近ごろ見かけなくなったのであるいは品切れかもしれない。サリフ・ケイタが3曲、モリ・カンテが1曲、それぞれリード・ヴォーカルをとっており、70年から73年ぐらいにかけての録音だろうか。これらは、サリフにとっても、カンテにとってもファースト・レコーディング(当初、カンテはギタリスト、バラフォン奏者としてバンドに参加した)とされている。

 (2)は、メタ・カンパニーが輸入元になっていて入手が比較的容易。ただし、日本語の帯には「サリフ・ケイタ&モリ・カンテ」の順になっているからまぎらわしい。長尺物中心の(1)にくらべて、1曲が4分から7分前後とコンパクトになり、ぐっとポップに仕上がっている。70年から78年ごろまでの録音を集めたもので、(1)にはなかった70年代半ば以降の演奏も楽しむことができる。

 レイル・バンドは、マリの首都バマコの駅にある国営ホテル「ビュッフェ・オテル・ドゥ・ラ・ガール」内のバー専属のバンドだった。その名のとおり、国鉄直営バンドだったわけである。結成は1969年、リーダーはグリオ出身のティジャニ・コネという、もともとは伝統音楽をやっていたひとだが、バンドではサックスとトランペットを受け持った。

 その音楽は、マンディング(マンデとも)の伝統にのっとりつつ、外来のポピュラー音楽の要素を融合させた、いわゆる「マンデ・ポップ」とよばれるもの。もともと文字をもたなかったかれらは「グリオ」という、代々引き継がれてきた歌い手兼楽器演奏者によって歴史や文化を伝えてきた。サリフやモリ・カンテをはじめ、現在活躍する西アフリカのミュージシャンにはグリオ出身者が多いのにはこのような背景がある。

 サリフがレイル・バンドに加入したのは、20歳前後のことで、3年後の73年にはレ・ザンバサドゥール・デュ・モテル・ドゥ・バマコ(通称アンバサドゥール)に参加するため、バンドを離れている。サリフの後任のヴォーカリストになったのが、隣国ギネアからコラを学ぶためにバマコへやって来たモリ・カンテだった。

 もともとサリフのピンチ・ヒッター的な起用であったにもかかわらず、(1)では、グリオの壮大な叙事詩にもとづく27分49秒に及ぶ'SOUNDIATA'を、自信たっぷりに朗々と熱唱する。ジェリマディ・トゥンカラのリード・ギターもすばらしい。ギニアのベンベヤ・ジャズ・ナショナルの影響が感じられるこの演奏は、マリのポピュラー音楽の黎明期を代表する傑作といえよう。
 'SOUNDIATA'は、初期レイル・バンドの代表曲であったらしく、同じ盤でもサリフのヴォーカルでもう1曲(14分45秒)、さらに(2)でもとりあげている(10分26秒)。とくに後者でのサリフのヴォーカルは、後年のかれを思わせる力強さと伸びが感じられ、歌のうまさではモリ・カンテは到底太刀打ちできない。しかし、曲の構成や演奏力の点ではモリ・カンテ・ヴァージョンに軍配が上がる。

 ちなみに、'SOUNDIATA'とは、13世紀にマリ帝国を築いた伝説的な英雄スンジャータ・ケイタの偉業を讃えたグリオの叙事詩がモティーフになっていて、じつはサリフはスンジャータ王の直系の子孫なのだという。高貴の血筋を引きながら、アルビノ(色素欠乏症)であったために親からさえもいとまれ、卑賤視される芸能者(グリオ)に身を投じたサリフは、まるでわが国における蝉丸の境遇を思い起こさせる。

 百人一首の「これやこの ゆくも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」で知られる蝉丸は、伝承によれば、天皇の子として生まれながら盲目ゆえに宮廷から放逐され流浪の身になった。
 京都と大津の境界にあったのが逢坂の関。琵琶の名手といわれる蝉丸はこの逢坂の関のあたりに屯する盲目芸能集団を1人の人物に具現化したものといわれる。当時、多くの芸能の担い手たちは、天皇を頂点とする貴族階級と、底辺にあって卑賤視されていた集団とに両極化しつつも相互に通底していた。蝉丸とは、高貴と卑賤が相互補完の関係にあって、容易に反転しうることをシンボリックにあらわす1枚のコインであったといえよう。
 サリフは、その背負ったスティグマゆえに高貴から卑賤へ転落するも、芸能者として大成功を収め高貴さを身にまとうまでになった。サリフこそ、アフリカの蝉丸そのものだ。

 話がむずかしくなってしまったので、話題をアルバムのことに戻すと、サリフ独特の容易に他人を寄せつけようとしないピンと弦を張りつめたような緊張感はまったくなく、いかにもリラックスしたノー天気な歌声を聞かせる。コネのサックスも緊張感がカケラもなくたれ流し状態だし、ギターもビロンビロン好き勝手にやらせてもらって、昼間っからアルコールをかっ喰らって、街なかをほろ酔い気分でふらつきまわっているような感じ。メンバー全員、演奏するのが楽しくってたまらない様子がスピーカーごしにも伝わってくる。セネガルのポピュラー音楽とはちがって、このころからすでにアフリカ的な要素がつよいが、ジャズや、カリプソなどラテン音楽からの影響も感じられる。録音がさほどよくないうえ、おそらく盤おこしのため、ノイズが多く聞き取りづらいし、全体にノラリクラリした展開だからとっつきづらさはあるが、聴きこむほどにハマる1枚でもある。

 (2)は、前半の4曲でヴォーカルをとっているのがおそらくサリフ。(1)同様、コンガ(トゥンバ)などのパーカッションはあっても、ドラムスが入っていないため、全体にモコモコした印象を受けるが悪くはない。カンテが歌う5曲目からドラムスや女性コーラスなどが加わり、サウンドにメリハリが生まれ、全体ににぎやかな印象を受ける。(1)にあったラテン音楽的要素は後退し、R&B〜ソウル的な要素が相当つよくなった感じ。モリ・カンテのジェイムズ・ブラウンばりにシャウトしまくるヴォーカルは本盤の聴きどころのひとつ。ギターも、サックスも、パーカッションもファンキー度が高くなって、かっこいいです。8曲目は、うってかわってコラを用いた清々しい演奏。ギター・ソロもさわやかで、いかにもアフリカ的でありながら、どこかインドネシアのクロンチョンを感じさせるところもあって興味深い。ラストの9曲目は、雰囲気がまたガラッと代わって、陽気なアフロ・ポップ。洗練度が高まり、悪いできではないが、コクがなくなりやや表面的になった印象はぬぐえない。

 このように(2)は、70年代のレイル・バンドの歩みをほぼ年代順に網羅した構成になっており、ポップスとして成熟していく過程を見てとることができる。なかでも、71年(ヴォーカリストとしては73年)から77年まで在籍したモリ・カンテの変貌ぶりは興味深い。そのぶん、サリフの印象は薄い。

 だが、個人的には、やはり、マリのポピュラー音楽が誕生する刹那の混沌とした雰囲気が伝わってくる(1)を推したい気分。


(3.12.02)



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by Tatsushi Tsukahara